張本勲が韓国籍を貫く理由とは?本名や壮絶な生い立ちと現在の動向
日本プロ野球(NPB)の歴史において、前人未到の通算3085安打という不滅の金字塔を打ち立てた張本勲氏。引退後もTBS系情報番組『サンデーモーニング』の名物コーナー「週刊御意見番」で放つ歯に衣着せぬ「喝!」で日曜朝の顔として親しまれてきました。その圧倒的な実績の裏には、戦前・戦後の激動期を生き抜いた壮絶なルーツと、自らの出自に対する強い誇りが刻まれています。
ネット上やファンの間では「なぜ日本で生まれ育ちながら帰化しなかったのか」「韓国との本当の関わりとは」といった疑問が今なお絶えません。本名「張勲」としての生き様、過酷な被爆体験や右手の重傷を乗り越えた生い立ち、韓国プロ野球への多大な貢献、そして2026年現在の活動まで、球界のレジェンドが歩んだ波乱万丈の軌跡を徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:本名は張勲(チャン・フン)。広島での被爆体験や右手の火傷というハンデを背負いながら、日本歴代最多安打記録を樹立した。
- 要点2:日本国籍を取得(帰化)しない理由は、女手一つで育ててくれた母親の教えと、民族としての誇りを守り抜く確固たる信念にある。
- 要点3:1982年の韓国プロ野球(KBO)創設に尽力し、韓国球界でも「伝説のゴッドファーザー」として絶大な尊敬を集めている。
【本名とルーツ】張本勲(張勲)の生い立ちと知られざる原点
張本勲氏の本名は張勲(チャン・フン / 장훈)。両親は韓国・慶尚南道(キョンサンナムド)の出身で、生活の糧を求めて渡日した在日韓国人1世でした。張本氏は1940年、広島市段原(現・南区段原)で誕生します。
幼少期は極貧の生活を強いられ、4歳のときには焚火に誤って飛び込み、右手の薬指と小指が癒着して親指が曲がらないという右手の重度火傷を負いました。さらに1945年8月6日、5歳のときに広島で原爆被爆を経験。爆心地から約2キロの段原で倒壊家屋の下敷きになりながら奇跡的に生き延びたものの、最愛の長女(張本氏の姉)を失うという悲劇に見舞われました。
不自由となった右手を補うため、猛練習によって左利きの打撃フォームを確立。この過酷な原体験こそが、後に「安打製造機」と呼ばれる強靭な精神力の源泉泉となりました。
なぜ帰化しないのか?韓国籍を貫き続ける「母親の教え」と信念
日本プロ野球で頂点を極め、国民的スターとなった張本氏ですが、生涯を通じて大韓民国籍を保持し続けています。日本の球界で活動するにあたり、当時は国籍による様々な偏見や不利益が存在した時代でした。それでも日本国籍を取得(帰化)しなかった最大の理由は、母・朴順芬(パク・スンブン)さんの存在です。
異国の地で差別や貧困に耐えながら、女手一つで子どもたちを育て上げた母は、幼い張本氏にこう言い聞かせて育てました。
「どこで生きていても、自分の血と民族の誇りを捨ててはならない。人間として筋を通しなさい」
張本氏自身もインタビューで「都合の良い時だけ国籍を変えるような生き方は母の教えに反する」「自分が韓国籍のまま日本で大記録を打ち立てることで、偏見を跳ね返したかった」と述懐しています。利便性や世間体ではなく、産み育ててくれた母親への忠孝とアイデンティティを最優先した結果が、現在の「韓国籍の維持」という選択でした。
前人未到の通算3085安打!在日韓国人としての誇りと球界の偉業
高校時代、甲子園出場を実力で掴みながらも、ルーツを巡る理不尽なバッシングや出場辞退の憂き目に遭った張本氏。悔しさをバネに1959年、東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)へ入団すると、瞬く間に球界のトップ打者へと君臨します。
NPB通算成績は凄まじい数字を残しています。
- 通算安打数:3085本(日本プロ野球歴代1位)
- 首位打者:7回(歴代1位タイ)
- 通算本塁打:504本
- 通算盗塁:319個
- 生涯打率:.3191
NPB史上唯一となる「3000安打・500本塁打・300盗塁」を達成したトリプルスリーの元祖でもあり、走攻守すべてにおいて規格外のプレーヤーでした。偏見の目に晒されながらも実力だけでグラウンドを黙らせたそのキャリアは、日韓両国の多くの人々に勇気を与えました。
韓国球界の生みの親?韓国プロ野球(KBO)創設を陰で支えた功績
張本氏の足跡は日本のプロ野球にとどまりません。1980年代初頭、韓国におけるプロスポーツ文化の黎明期において、韓国プロ野球(KBOリーグ)の創設に決定的な役割を果たしました。
1981年、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権下の韓国政府からプロリーグ発足の諮問を受けた張本氏は、NPBの運営システムやドラフト制度、フランチャイズ制のノウハウを惜しみなく提供。さらに、白仁天(ペク・インチョン)氏ら在日韓国人選手の韓国球界参入を後押しし、創設期の実力向上に大きく寄与しました。
この功績から、韓国国内における張本氏(張勲)への評価は極めて高く、「韓国プロ野球の生みの親・大恩人」として国民的英雄の待遇を受けています。韓国の野球殿堂入りや政府からの表彰など、そのリスペクトは現在も揺らぎません。
『サンデーモーニング』降板後の動向と張本勲の最新ニュース
2021年末、23年間にわたりレギュラー出演を続けた『サンデーモーニング』の御意見番を勇退した張本氏。降板時には「若い世代にバトンを渡したい」と語り、勇退後も折に触れてスペシャルゲストとして元気な姿を見せています。
2026年現在、80代半ばを迎えた張本氏は、自身の体調と相談しながら野球解説や講演活動、プロ野球の発展を願う後進へのアドバイスを継続。メディア露出は厳選されているものの、名球会のイベントや日韓のスポーツ親善の場には関わり続けており、持ち前の鋭い眼差しと野球への情熱は健在です。
【張本勲 韓国】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:張本勲さんは日本語と韓国語のどちらを話しますか?
A1:日本生まれ日本育ちのため母語は日本語ですが、韓国プロ野球創設に関わったことやルーツへの敬意から、韓国語も日常会話や挨拶レベルで習得されています。
Q2:張本勲さんは日本プロ野球の名球会に入っていますか?
A2:はい。自身が中心メンバーの一人として設立に関わった「日本プロ野球名球会」の創設メンバーであり、現在も顧問・重鎮として名を連ねています。
Q3:なぜ「張本」という通名を使っていたのですか?
A3:当時の日本社会の慣習や学校生活への配慮から「張本」という日本名を名乗っていましたが、プロ入り後も自らの本名が「張勲」であることを公にして堂々とプレーを続けました。
まとめ:日韓の架け橋として球史に刻まれた不滅の足跡
被爆の爪痕、右手の障害、そして出自をめぐる逆境。張本勲氏が歩んだ人生は、常に重いハンデとの闘いでした。しかし、そのすべてを自らのバット1本で打ち破り、前人未到の3085安打を記録した姿は、時代を超えて語り継がれるべき人間の強さを示しています。
韓国籍を守り抜いた背景にある「母への誓い」と、日韓両国の球界発展に捧げた情熱。張本氏が残した偉業と生き様は、これからも両国のスポーツ史に燦然と輝き続けます。 (出典: 張本勲 韓国(Yahoo!ニュース))